お店紹介 行事 駐車場・その他
昭和30〜40年代と現代の木更津駅西口の様子を、ほぼ同じ位置から撮影した写真で比較してみました。
昭和の木更津で子ども時代を過ごしたスタッフの思い出を交えてお送りします。
古き良き木更津のにぎわいを感じてください。
 
 
 

駅前ロータリー夜景
昭和36年8月5日撮影

 
 
木更津駅西口ロータリー
平成21年
 
 
 
駅前広場
昭和40年代

 左上にみまち通りの入口が見える。玉屋書店、合同タクシーがよく見え、朝日屋食堂の右手が富士見通りの入口になる。
 みまち通り入口の向かって左手の「なかや食堂」の2階で子供の頃よく「ひやしたぬき」を食べたことを記憶している。
 
 
木更津駅西口
平成21年


アクア木更津を望む
 
 
 
富士見通り その1
昭和40年代

 日活前から木更津駅方面を望む。本町通との交差点に歩道橋がある。右手奥に「十字屋デパート」と思われるビルが見える。ここに山下清画伯が来てサイン会を行なったのを覚えている。
 ちなみに「日活」は昭和35年の地図には「ヱビス館」と言う名で乗っていて、その後「ムービーランド」と名を変えた。現在営業はしていない。
 
 
富士見通り
平成21年

駅方面を望む。
奥には光明寺が見える。
 
 
 
富士見通り その2
昭和36年8月15日撮影

 本町通りとの交差点、左下が木更津駅、右上が港方面。
 港まつりの山車が出たりと通りは人で賑わっている。
 荒井屋百菓店がよく目立つ、現在はオランダ屋となっているが先日閉店となってしまった。
 左上画面ぎりぎりのところに見える屋根が証誠寺である。
 
 
富士見通り
平成21年
 
 
 
富士見通り その3
昭和30年代

 木更津温泉ホテル付近から木更津駅方面を写した写真。
 奥の大きな屋根が木更津駅の駅舎。
「おにしま洋装店」、「早川理髪店」、「ジューキミシン」が目立つが、現在では「宝家」の駐車場となっている。
 他に目立つ建物は、写真奥の高い鉄塔を持つ「ヱビス館」である。 この時代の映画館の繁栄振りがよく分かる。
 
 
富士見通り
平成21年

 交差点左奥は「宝家」の駐車場
 
 
 

富士見通り その4
昭和39年

 木更津駅前の富士見通り入口付近から港方面を撮影した写真。
 中央右奥に「サカモトデパート」の大きなビルがある。この時代のデパートは屋上にかなり本格的な遊園地を併設していたものが多かった。
 左端にある「十字屋デパート」はその後「白木屋」となり、現在は立体駐車場となった。
 画面右端には、パイロット、プラチナなどの大きな看板が見える。ここは「松井万年筆店」で現在もこの場所で営業中である。

 
 
富士見通り
平成21年

 右の白いビルは「アヤ理容・美容室」、奥に向かって「ペンショップ マツイ」、「光明寺」、分譲マンションと続く
 
 
 
本町通り その1
昭和30年代

 田面通りとの交差点、奥は市役所方面(現在は郵便局)。パレードの車のフロントガラスに「来賓車」とある。
 交差点右には高澤ラジオ店が目立つ、その左隣に「内田呉服店」(看板は洋品内田)、通りの左側には「浜田屋茶店」、などが見える。
 この先は市役所の他、警察署、消防署などが並ぶ官庁街であった。
 
 
本町通り
平成21年

左奥の白い建物・オレンジ色の看板は郵便局
 
 
 
本町通り その2
昭和30年代

 浜田屋呉服店前から、奥は木更津銀座。
 左側に「桶仙履物店」が見える。 右手に「商工会議所」と書かれた飾り物が見えるが、ここのショッピングセンターのビルの中に商工会議所があった。
 この通りはこの時代の木更津のまさに中心地であった。
 
 
本町通り
平成21年

通り右側に「浜田屋呉服店」
向かいには「桶仙履物店」の後に入った、地元の野菜などを直売する「ふれあいプラザ」がある。
 
 
 
木更津銀座 その1
昭和40年代?

 八剱八幡神社前から本町通り方面を撮影した写真。
 左手に「ムラヰ書店」、右手に「多田屋書店」がある。 当時の国道16号線で本町通りの続きとも言えるが、商店街の雰囲気はかなり違っていた。
 八剱八幡神社前で大きく直角に曲がっていて大型車輌は通行に苦労していた。「ムラヰ書店」は平成20年の大火事でも焼けなかったが、すでに営業はしておらず建物のみ残っている。
 もともとここが本店であった「多田屋書店」は現在も健在である。
 
 
木更津銀座
平成21年

 かつてあった木更津銀座ゲートは現在はなく、右上街灯の看板にその名を残している。
 
 
 
木更津銀座 その2
昭和30年代

 厳島神社(通称弁天様)前から八剱八幡神社方面を撮影した写真。
奥の鳥居が八剱八幡神社。
 「ミドリヤ靴店」、「十字屋袋物店」等が見える。
 現在では全く店が入れ替わっていて、「ジャン美容室」などがあるあたりである。
 国道16号線はここでもう一度直角に曲がる。富津方面に100mほどいった、矢那川に架かる橋の手前で右手に入っていくと証誠寺となる。この界隈には神社仏閣が多く門前町的な雰囲気もあった。
 
 
木更津銀座
平成21年

 手前にあるのはJAN美容室
 
 
 
みまち通り
昭和40年代

 尾張屋前。駅側から港側を見て撮影している。
 「尾張屋」の奥に「ヤスムロ文具店」、右手に「安田玩具店」、その手前を右に入ると八剱八幡神社である。
 現在では画面左側はほとんど更地になってしまっている。
 「ヤスムロ文具店」では文具の他に猟銃用の散弾が売っていたのを覚えている。
 「安田玩具店」には子供の頃よく通った。 建物は残っているが、もうオモチャは扱ってないようである。
 数年前に私が通っていた頃の店主が亡くなったとの知らせが届いた。
 
 
みまち通り
平成21年

 「尾張屋」「ヤスムロ文具店」は今では空き地になり、入れないようになっている。
 現在は閉店している店舗は多く、この日は撮影時間が早かったためか、営業している店舗も全てシャッターが下りていた。かつての賑わいは見られない。
 
 
 
田面通り その1
昭和48年

 影山鶏卵店前から踏切方向を撮影。
 田面(たも)通りは木更津駅北側の最初の踏切をまたぎ東西に延びる通り。今では名前も忘れられ、踏切の東側はいなり通りと呼ばれているらしい。
 手前から「中村洋服店」、「竹若文具店」と続き、「鈴木の靴」、「岩田神仏具」などの看板が見える。
 現在でも健在なのは、「岩田神仏具店」、「田中鮮魚店」だけのようである。
 
 
田面通り
平成21年

 写真奥の白い建物の左奥には「岩田神仏具店」、「田中鮮魚店」と並ぶ。
 
 
 
田面通り その2
昭和40年

 秋田屋前から踏切方向を撮影。
 「飯塚洋服店」、「カメラの一光堂」が見える。
 「飯塚洋服店」のあった場所は、現在は「レンタルブティック・クリステーヌ」の入るビルになっている。
 「カメラの一光堂」の手前を左に入ると「選澤寺」である。
 現在は「カメラの一光堂」は東口の萩原病院前に移転して「選澤寺」の参道の幅が広くなっている。
 「秋田屋」は現在も同じ場所で営業している。
 
 
田面通り
平成21年

 「レンタルブティック・クリスティーヌ/ファッション美奈」が見える。写真に入っていないが、手前右には「秋田屋」がある。
 
 
 
田面通り その3
昭和40年代

 萩原旅館前。左手が本町通り方面。
 このあたりまで田面通りと呼ばれていたかどうかはよくわからない。
 斜めになっていてわかりにくいが、奥に見える看板は「岡野菓子舗」のものである。現在は「岡埜栄泉堂本店」となっている。
 「萩原旅館」は外見は改装されているが、雰囲気はこの写真と殆ど変っていない。
 
 
田面通り
平成21年
 
 
 
見番
昭和40年代

 現在は場所も建物も当時と同じだが、まわりの雰囲気はかなり変っていてゴチャゴチャと立て込んだ感じになってしまった。
 緑もめっきり減っている。
 
 
見番
平成21年
 
 
 
 
 
 
 
税務署前
昭和40年代

 右手前の石橋と白い木製の柵の中が税務署であった。
 どういう建物だったかは覚えていないが、この前景からすると石造りの洋館だったのではないだろうか。
なぜわざわざ花街の中に税務署を作ったのかは謎であるが、水路におおきな柳の木というのはなかなか風情があっていい。
 この通りを奥に行くと、「厳島神社」のところで「木更津銀座」に合流し、そのまま直進すると「八剱八幡神社」の入口に突き当たる。
 左側手前から「更科そば」、「飯島カメラ店」、「森田屋支店」と続いている。なぜかそば屋が多い。
 「飯島カメラ店」、「更科そば」はなくなってしまったが、「森田屋そば店」は健在である。
 
 

税務署前
平成21年

 写真右に税務署がある。今はコンクリート建物となっており、前景はアスファルトの駐車場になっている。
 現在では、通りに水路も柳もなくなり、平凡な通りとなっている。
 奥には八幡様が見える。

 
 
 
証誠寺
昭和30年代

 現在では樹木が茂ってしまい、本堂の前で踊るのはほとんど不可能である。
 
 

証誠寺
平成21年

 参道が整備され、境内は庭園のようになっている。毎年10月に行われる狸まつりでは、子どもたちがお堂の中で踊りを踊る。

 
 
 
 
 
 
 
八剱八幡神社
昭和40年代

 写真右手が本堂。 かつて本堂の右手奥御輿を保管してある建物のそばに大きな池があった。
 この池の畔に焼きそばとおでんを売る屋台が出ていて、よく遊びに行き、池に落ちて溺れたり、犬に噛まれたりして楽しく過ごした。 この店の焼きそばは20円分から注文することが出来た。
 学校が終ると十円玉を2枚握り締めて、この夫婦でやっていた屋台に毎日のように通った。
 昭和50年頃には池も埋め立てられ、屋台を出すことが出来なくなったらしい。私も中学生になって、みまち通りからも引っ越してしまっていたが、風の便りにあの夫婦が店を出したという話を聞き、木更津駅西口から線路沿いにすこし南に下った辺りにひっそりとあった「金時」という名の店に、何度か焼きそばを食べに行ったことがある。
 その店も今はない。高校卒業後10年以上も木更津を離れていた間になくなってしまった。
 
 

八剱八幡神社
平成21年

 となりのみまち通りに数匹の野良猫が住みつて居るためか、今ではハトはほとんど居なくなった。

 
 
 
 
 
 
 
木更津港 その1
昭和30年代

 当時は船で東京に行けたらしいが、昭和40年代には、すでにこの航路はなく、房総西線にもSLは走っていなかった。
 その後、横浜との間にカーフェリーが通い、次いで川崎にも通い、時々利用していたが、まず横浜航路が廃止され、やがてアクアラインの開通により、川崎航路も廃止された。 木更津は、航路が廃止されるたびに衰退していったように思えてならない。
 写真のような小さな船でよいから、東京との航路を再開することができないだろうか。 行き先はお台場か品川がいいのではないか。またはディズニーランドとの航路開くという事も夢があってよい。 ディズニーリゾートに直接船で行けるというのは大変魅力的だし、ディズニーリゾート側にとってもメリットはあると思えるのだが、どうだろうか。
 
 

木更津港
平成21年

 現在木更津港は定期旅客線航路を持たず、物資の集散、山砂などの積み出し主に行っている。
 写真は漁船だろうか、心なしか寂しげ見えた。

 
 
 
 
 
 
 
木更津港 その2
昭和30年代

 ハゼ釣りの写真
木更津港の堤防には、陸地とつながっていて歩いていける堤防と、渡し船に渡してもらわないと行けない堤防とがあった。
 もちろん、渡し船を使わないと行けない堤防の方が良く釣れた。
 渡し船の料金は子供の小遣いでも利用できるくらい、安かったと記憶している。 この写真の堤防がどちらかはわからない。
 造りも形もどちらの堤防も同じだった。
 
 

木更津港
平成21年

 恐らく同じ堤防と思われる。岸から撮ったので小さくなってしまった。

 
 
 
木更津港 その3
昭和40年代

 大きなビルは「ホテル美松」。9月1日開店と見える。
 その手前の通りが富士見通りということになる。
 「ホテル美松」のあったところには、現在「ホテルコスタルーナ」が建っている。
 
 

木更津港
平成21年

 プレジャーボートと山砂積出船が沢山停泊していた。

 
 
 
 
 
 
 
鳥居崎
昭和30年代

 見染の松のあるあたり。
 まだ沖合が埋め立てられる前、遠浅の浜が視界の限り続き、潮干狩だけでなく海水浴も行なわれていたようだ。
 沖合の海中に立っていた鳥居は、現在は埋め立てられた潮浜公園の中に立っている。 この鳥居は、八剱八幡神社の前から真っ直ぐ続く道路の延長線上にある。 つまり八剱八幡神社の鳥居なのだろう。
 もし埋め立てられなかったら、関東の宮島と呼ばれていたかも知れない。
 画面奥には海の家の看板が見える。
 手前のベンチの上にあるものは携帯用レコードプレーヤー、隣の平べったい箱はレコードケースに違いない。
 こんな昔から、屋外でお気に入りの音楽を聴きたいという欲求を人々が持っていたのだなと驚く。
 
 

鳥居崎
平成21年

 
 
 
 
 
 
 
市営プール
昭和40年代

 このプールは現在も同じ場所で営業を続けている。
 手前の変形プールは子供用の浅いプールだが、奥には競技用のプールもあった。
 
 

市営プール
平成21年

 
 
 
イワサキ旅館
昭和36年7月13日

 この写真は場所の特定が出来なかった。
 背景にバスの車庫が写っているので、駅の近くだと思ったのだが、昭和35年の地図にイワサキ旅館という名を見つけることが出来なかった。
 
 
 
昭和30年代 鳥居崎にて