U 義堯の登場と北条氏との攻防 上総錯乱―真里谷武田氏の内紛に小弓公方足利義明が介入
V 義堯・義弘の活躍と上杉謙信 本拠・久留里城落城寸前に謙信が越山し、義弘が鎌倉で対面
W 義弘・義頼父子と関東の争乱 X 義康・忠義の苦悩と名族里見氏の滅亡 付章 里見氏のルーツと滅亡後の一族
▼吉行淳之介 『鋸山心中』(小説新潮:1988年9月) 淳之介は大正13(1924)年4月13日、父:エイスケ(モダニズム詩人)と母:あぐり(美容師)の長男として岡山県岡山市に生まれ、東京麹町(現:千代田区麹町)に育った。淳之介が小学校低学年であった昭和7(1932)年から9年頃、避暑のために竹岡村・金谷村(現:富津市)を何度か訪れている。この時の回想が、後年『鋸山心中』という短編小説となって発表されている。 文中に出てくる竹岡駅は昭和5(1930)年8月に開設されており、駅ができて間もない頃であった。この時代は、上海事変、五・一五事件、小林多喜二の検挙、虐殺などが相次いで起きた暗い緊迫した世相であり、房総沿岸は要塞地帯指定で写真撮影もままならなかった。そんな時代背景でありながら、この作品には当時の竹岡周辺の、のどかで風光明媚な漁村風景が描かれている。