人見神社(君津市)

 「人見の妙見さま」で親しまれている人見神社は、小糸川の河口、東京湾をのぞむ獅子山(人見山)の頂に鎮座し、その御朱印には「二総六妙見」の印が押されています。二総六妙見とは上総の人見神社、久留里神社、横田神社と下総の千葉神社、印西妙見宮、飯高妙見宮のことで、古くから人々の崇拝を受けてきました。
 また近年は、関東十社を自転車で巡る「ツール・ド・御朱印」にも参加していて、サイクルスタンドが設置されています。
 日本武尊が相模から房総へ向かう海上で嵐に遭ったとき、妃の弟橘媛命は自ら海中に身を投じて龍神の怒りを解き、暴風を鎮めたと伝えられています。その後無事、上総へ渡った武尊は獅子山に登り、妃を追慕しつつ海路を「不斗(ふと)見そらし給う」たので「ふとみ」すなわち「人見(ひとみ)山」となったと言われています。
 人見神社は奈良時代以前、孝徳天皇の代に日向国より勧請されました(別当・青蓮寺の「妙見縁起」)。また、かつて近郷の大堀の地にわずか二戸しかなかった頃、うち太右衛門が草刈をしていて妙見尊像を見つけ、もう一人の市右衛門と相談して獅子山に祀ったという「妙見隠し」の伝承も残されています。
 天慶3(940)年、平忠常が上総介として赴任した折に、武蔵国より北辰妙見の神霊を上総・下総各地に勧請しました。その中の代表的な一社が人見神社です。源頼朝も治承4(1180)年、相模石橋山の合戦に敗れ、再起を期して内房の礒根伝いを舟で進軍の際、小糸川河口に着岸し、人見神社に武運長久の祈願文を捧げたと伝えられています。天正19(1591)年には徳川家康より良田五石の朱印の寄贈があり、元禄4(1691)年には領主、小笠原彦太夫より大刀の献納がありました。小笠原氏は以来、例祭に奉幣参拝を欠かさず、寛政9(1797)年、小笠原兵庫と氏子らが浄財をもって春日造の社殿を造営しました。
 明治時代には神仏分離の国策を受けて郷社となり、妙見菩薩は観音堂に祀ることになり、高度経済成長期には、麓の湾岸に大規模な製鉄所が建設されるなど、周囲の景観は変貌しましたが、人見神社は近郷近在の人々を見守り続けています。
 なお、人見神社からの眺めは「ちば眺望百景」に選定され,晴れた日には伊豆大島、対岸の神奈川県や富士山も眺めることができます。

 また、人見神社で行われていた第一期改修工事が本年6月に完了し、新社殿が完成しました。
 人見神社の御祭神は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神 (たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)の三柱です。この神々は「造化三神(ぞうかさんしん)」とも称えられ、高天原に最初に現れた崇高な神々であり、常に物事の中枢にあり、万物生成を司ると言われています。
ツール・ド・御朱印パンフレット <オモテ> <ウラ


所在地 君津市人見892
御朱印 初穂料500円
〈問合せ〉
TEL0439(52)0093
    人見神社 宮司宅
TEL0439(52)5008
    人見神社 社務所 [ホームページ
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